絶望から幸せになる1:小さな幸せに感謝すること

人は「自分を意味する何かを残す」ことに人生の意味を感じ, そのためのリソースの保持・獲得を認識するとき幸せを, 欠落・喪失を認識するとき不幸を感じます。

例えば, 食事・運動・睡眠・治癒は健康, 上達・成功は能力, 他者の承認は所属というリソースの保持・獲得を意味するため, 人に幸せの感覚を与えます。

一方, 失敗・敗北・拒絶・排斥等で自尊心が低くなると, リスクテイクの抑制を目指す抑鬱システムが, リソースの保持・獲得の認識を抑制, 欠落・喪失の認識を促進します。

この結果, 幸せを感じなくなるのです。

小さな幸せに感謝すること

上述のように, 抑鬱はリソースの保持・獲得の認識を抑制し, 欠落・喪失の認識を促進します。結果, 良いところは見えなくなり, 悪いところばかり見えるようになります。

そのため, 抑鬱のときは, 意識的に探さなければ, 自分・環境の良いところが見えなくなります。つまり, 幸せになる意思がなければ, 幸せを感じることはできなくなります。

また, 抑鬱により, 良いところは見えなくなり, 悪いところばかり見えるようになるため,意識して探したとしても, 急に沢山の幸せには気付けなくなっています。

ただ, 小さな幸せは必ずあります。その小さな幸せから始めます。

そのために, 当たり前に思っていたものを, 当たり前に思うのをやめます。例えば, 息ができること。見えること・聞こえること・嗅げること・味わえること・手触りを感じること。眠れること・食べられること。このような幸せに感謝します。

こうすると, 少し幸せを感じます。幸せを感じるということは, リソースを認識することと同じです。リソースを認識すると, 自尊心が高まります。というのも, 自尊心はその人のリソースの大きさを反映しているためです(前回の記事 を参照)。

自尊心が高まると, 社会的リスクテイクの抑制という目標が緩くなります。そのため, リソースの保持・獲得の認識に対する抑制も弱くなります。結果, より多くの幸せに気付けるようになります。今度は, そのような幸せに感謝します。

このように, まず幸せを感じることで, 良いところが見えてきます。今度は, 見えてくることで, 幸せを感じることができます。この循環を続けると, 思いがけない幸せが見えるようになります。短所のおかげで存在する長所が見えるようになります。失敗・敗北・拒絶・排斥のおかげで得た経験が見えるようになります。

 

絶望においては, 意識的に良いところを探さずに, 幸せを感じることはできません。逆に, 意識的に良いところを探せば, 必ず幸せを感じることができます。幸せを感じると, 他の良いところが見えてきます。見えてくると, より幸せを感じることができます。最後には必ず, 世界は恵みで溢れていること, 自分は既に恵まれていたことに気付きます。

 

なぜ絶望するのか - 抑鬱が進化した理由

人生に意味がないと感じることがあります。嫌なところばかり目に入り, 悲しいことばかり思い出すことがあります。何も楽しそうに思えず, 何をする気も起きないことがあります。自分は役に立たない人間で, 自分がいない方が皆幸せになると思うことがあります。

このような状態を抑鬱(depression)と言います。

抑鬱が生じるのには進化的な理由があり, その理解が抑鬱を抜け出す第一歩となります。以下, その理由をわかりやすく説明します。この記事で行う説明は「抑鬱の社会的リスク仮説」に依拠しており, 以下の論文を参照しています。

Allen N & Badcock P. 2003. The social risk hypothesis of depressed mood: evolutionary, psychosocial, and neurological perspectives.

社会的地位の要求にはリスクが伴う

人間が進化を遂げた時代, 人間は集団で生活していました。一方, 集団における食料・配偶者などのリソースは希少でした。そのため, 人間は, 自分が集団に与えるリソースの大小に応じて, 集団内のリソースにアクセスする権利を要求するようになりました。

この権利を社会的地位(social status)と言います。例えば「支配者」「実力者」は権力(agency)の次元, 「配偶者」「友人」は協力(affiliation)の次元における地位であり, 各々, 特定のリソース(食料・身体の保護 etc)にアクセスする権利を意味します。

社会的地位の付与はリソースの付与を意味するため, その集団に負荷がかかります。そのため集団は, 大きなリソースを与える個人に限り社会的地位を与え, 自分が与えるリソース以上の社会的地位を要求をする個人は集団から排斥するようになりました。

ここで, ある人の存在により増加するリソースの大きさをその人の社会的価値(social value), 減少するリソースの大きさをその人の社会的負荷(social burden)と定義します。このとき, 個人は自分の社会的価値に応じて集団に社会的負荷を与え, 集団は社会的価値を超えた社会的負荷を与える個人を排斥するように進化した, と言えます。

この結果, 社会的地位の要求には 1. 適切な要求によりリソース獲得に成功する可能性と, 2. 過大な要求によりリソース獲得に失敗し, 排斥が生じる可能性, が伴うようになりました。この社会的リスク(social risk)を上手にとることが進化的な課題となったのです。 

リスクテイクの方針を自尊心が調整する 

社会的地位の獲得を目指し, 同時に排斥を避けるためには, 社会的価値 / 社会的負荷の値*1を監視し, この値が高いとき社会的リスクテイクを促進し, 低いとき抑制するのが合理的です。社会的価値が高く社会的負荷が低いほど, リスクテイクは有利なためです。

このような方針調整を実現するのが自尊心です*2

自尊心は社会的価値 / 社会的負荷のメーターとして機能します。実際, 自尊心が高いとき人は「自分がいる方が皆幸せだろう」「自分は価値のある・役に立つ人間だ」と感じ, 低いとき「自分がいない方が皆幸せだろう」「自分は価値のない・役に立たない人間だ」と感じます。この感覚は社会的価値 / 社会的負荷の反映と言えます。

また, 社会的価値 / 社会的負荷の高さを示唆する証拠により自尊心は高まり, 低さを示唆する証拠により自尊心は低下します。証拠として重要なのが, 過去の社会的地位の獲得・喪失です。例えば, 権力次元における獲得として成功・勝利, 喪失として失敗・敗北があり, 協力次元における獲得として承認・受容, 喪失として拒絶・排斥があります。

成功・勝利・承認・受容により自尊心が高くなると, 社会的リスクテイクを促進するような認知的変化が生じます。一方で, 失敗・敗北・拒絶・排斥により自尊心が低くなると, 社会的リスクテイクを抑制するような認知的変化が生じます。

この後者の認知的変化が「抑鬱」なのです。

リスクテイクの抑制を抑鬱が実現する

社会的リスクテイクを抑制するには, 以下の認知的変化が必要です。

リスクテイクに成功する確率を過小評価・失敗する確率を過大評価する

リスクテイクに成功する喜びを過小評価・失敗する痛みを過大評価する

この変化は全て抑鬱システムの作動により実現します。

何も良いところがない

まず, 人間はリスクテイクの成功確率を自分の社会的価値 / 社会的負荷の大きさにより判断します。そして, この値は個人の存在により増加するリソースの大きさと減少するリソースの大きさにより決まります。そのため, リスクテイクの抑制を目標とする抑鬱システムは, リソースの保持・獲得の認識を抑制し, 欠落・喪失の認識を促進します。

悲しいことばかり目に入り, 嬉しいことは目に入らなくなるのはそのためです。例えば, 権力次元における欠落として能力の低さ, 協力次元における欠落として魅力の低さに焦点が当たります。逆に, 意識しないと自分の良いところには気付けなくなります。

何も良かったことがない

また, 人間は出来事の確率判断に利用可能性ヒューリティック(availability heuristic)を用います。つまり, 同じような出来事を思い出すのが易しいほど確率が高いと判断し, 難しいほど低いと判断します。そのため, リスクテイクの抑制を目標とする抑鬱システムは, 過去の地位獲得の想起を抑制し, 地位喪失の想起を促進します。

悲しかったことばかり思い出し, 嬉しかったことは思い出せなくなるのはそのためです。例えば, 権力次元の喪失として失敗・敗北, 協力次元の喪失として拒絶・排斥を思い出します。逆に, 意識しないと成功・勝利・承認・受容などは思い出せなくなります。

何をしても意味がない

通常, 人間はコントロール幻想(Illusion of control)を有し, 自分がものごとをコントロールする能力を過大評価します。この幻想により, 人は困難な課題において諦めずに努力することができます。一方, リスクテイクの抑制を目標とする抑鬱システムは, このコントロール幻想を低下させます。抑鬱的リアリズム(depressive realism)と言います。

一生この状態から抜け出すことはできない, もう二度とチャンスは巡ってこない, と感じるのはそのためです。自分の人生を自分で変えよう, チャンスを掴もう, と思えなくなります。運命・環境に対する無力を感じ, 諦めが生じ, 努力を放棄してしまいます。

何もやりたいことがない

リスクテイクの抑制には, リスクテイクに成功する喜びを過小評価・失敗する痛みを過大評価する必要があります。この変化も抑鬱システムが実現します。

人間には, 報酬を得ようとする欲求動機(appetitive motivation)と, 罰を避けようとする嫌悪動機(aversive motivation)があります。ある報酬に対する欲求動機が大きいほどその喜びは大きく, ある罰に対する嫌悪動機が大きいほどその痛みは大きくなります。

そのため, 抑鬱システムは, 欲求動機を低め, 嫌悪動機を高めることで, リスクテイクに成功する喜びを過小評価・失敗する痛みを過大評価させ, リスクテイクを抑制します。

楽しそう・面白そうと思えることがなくなり, 悲しい未来ばかり想像するようになるのはそのためです。何をする気も起きず, 人生には意味がないと感じるようになります。場合によっては, 食欲・性欲など一般的な欲求の低下が生じます。

 

まとめると, 失敗・敗北・拒絶・排斥による自尊心の低下で抑鬱システムが作動し, 社会的リスクテイクの抑制を目標とする様々な認知的変化が生じる結果,「自分の人生には悲しいことしかないが, 自分にはどうすることもできない」という絶望が生じるのです。

このような絶望から幸せになる方法を, 次回以降の記事で書きます。

 

合わせて読みたい

*1:論文の著者はこの値を社会的投資能力(Social Investment Potential: SIP)と呼んでいます。

*2:自尊心は以前, 以下の記事でソシオメーター理論を紹介したとき登場しました。この論文の著者もソシオメーター理論を踏まえています。

yuji-log.hatenablog.com

人生の意味を感じる方法 - 自分を意味する何かを残す

幸せとリソースの同値性

前回の記事でも書きましたが, 人間は, 進化的に有利な状況に幸せを, 不利な状況に不幸を感じるよう進化しました。進化的に有利な状況とは自分の遺伝子が存続しやすい状況, 不利な状況とは自分の遺伝子が存続しにくい状況のことです。

以下, 自分の遺伝子を存続しやすくする要因をまとめて「リソース」と呼びます。この言葉で言い換えると, 人間は, リソースの保持・獲得を意味する状況に幸せを感じ, リソースの欠落・喪失を意味する状況に不幸を感じるように進化した, と言えます。

例えば, 食事・運動・睡眠・治癒が幸せなのは健康というリソースの保持・獲得を意味するためです。上達・成功が幸せなのは能力というリソースの保持・獲得を意味するためです。他者の承認が幸せなのは所属というリソースの保持・獲得を意味するためです。

また, 安全・清潔・自然が豊かな環境や, 優秀・協力的な集団に幸せを感じるのは, そのような環境が生存上のリソースを意味するためです。適齢期の魅力的な異性が存在する環境に幸せを感じるのは, そのような環境が繁殖上のリソースを意味するためです。

このように, 幸せを感じることとリソースの保持・獲得を認識すること, 不幸を感じることとリソースの欠落・喪失を認識することは, ほぼ同じです。この仕組みにより, 人は自分の遺伝子の存続に向けて歩を進めるのです。

自分を意味する何かを残すこと

そのため, 人間は自分の遺伝子の存続を強く示唆する状況で「人生の意味」と言えるような根本的な幸せを感じます*1。例えば, 恋愛・結婚・子孫の誕生・子孫の成長・子孫の結婚 等は自分の遺伝子の存続を強く示唆するため, 深い幸せを与えます。

とはいえ, 人生の意味を感じるために子供は必要不可欠ではありません。人間は「自己」を抽象的に捉えているためです。従ってより一般的には, 「自分を意味する何か」が後世に残ると感じるとき, 人は人生の意味を感じることができます。

例えば, 自分の子供に限らず, 自分の記憶・名前・作品・思想・技術が後世に残ると感じるとき, 人は人生の意味を感じます。自分が助け育てた子供・動物・自然, 自分が貢献した社会・世界が後世に残ると感じるときも, 人は人生の意味を感じます。

 

まとめると, 人は「自分を意味する何かを残す」ことに「人生の意味」を感じます。そして, 「自分を意味する何かを残す」ためのリソースの保持・獲得を認識するとき, 人は幸せを感じ, そのようなリソースの欠落・喪失を認識するとき, 人は不幸を感じます。

従って幸せになるには, そのようなリソースの保持・獲得の認識を促進し, 欠落・喪失の認識を抑制するのが本質的に重要です。その方法は次回以降の記事で書きます。

 

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*1:ここで言う「人生の意味」は客観的に存在する意味ではなく主観的に感じる意味です。このことに関しては前回の記事で説明しているのでご参照ください。

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人生の意味を「感じる」とき

人生の意味は「ある」ものではなく「感じる」ものだと思います。

まず,客観的な「人生の意味」を見つけるのは非常に難しいと思います。意味は無限に後退するからです。どんな「人生の意味」に対しても「それに何の意味があるの?」と問うことはでき,その連鎖は決して終わりません。その連鎖を打ち切るには「だってその方がいいじゃん」と主観に頼るしかないのです。進化の視点から見ても,人々が存在するのは自然淘汰の結果に過ぎず,そこに積極的な意味はありません。

一方で,主観的な「人生の意味」は存在し得えると思います。「人生の意味」という「感覚」が存在すること自体はあり得るからです。実際,「あなたに会うために生まれた」とか「この人を幸せにするために生まれた」という感覚には強烈なリアリティがあります。進化の視点から見ても,自然淘汰において有利になる状況で「人生の意味」を感じるように人間が進化することは十分あり得ます。

自然淘汰において有利になる状況に自らを導くために人間はさまざまな要求を持ちます。例えば,健康を維持するために食欲があり,仲間と助け合って生き残るために承認欲があり,自分の遺伝子を残すために性欲があります。逆に言えば,そのような要求が満たされた状況が自然淘汰において有利になる状況です。

従って,人間が「人生の意味」を感じるのが自然淘汰において有利になる状況であるならば,それは「自分の要求が満たせたとき・満たせる希望が持てたとき」になるはずです。とはいえ人間は快楽に適応してしまい,ありきたりなことには喜べないので,とりわけ「普段満たせていない」要求が満たせたとき,人は人生の意味を感じるはずです。

例えば,長年病気に苦しんだ人は,病気が治ったとき,または治る希望が持てたとき,大きな人生の意味を感じるでしょう。普通の人にとっては当たり前に満たせている「健康でいたい」という要求も,その人にとっては普段満たせていない要求だからです。

一方,共同体の解体が進んだ現代社会に生きる人々にとって,承認要求は比較的満たしにくい要求です。だからこそ「友人・恋人・家族と過ごすこと」「社会に貢献すること」「何かを達成すること」等が人生の意味としてよくあげられるのでしょう。というのも,これらは全て「人に認められること」につながるからです。

逆に,「人生には意味がない」と感じるのは,「どんなに努力しても要求が満たせないと感じたとき」であることが多いと思います。例えば,大好きだった恋人から振られて,出会いの希望がないとき,長年勤めた会社から解雇され,次に行く当てがないとき,人生には意味がないと感じる人は多いでしょう。

つまり,人生の意味は希望から生まれ,絶望とともに消えるのです。従って,常に「人生の意味」を感じ続けるようにするには,絶望しないように,希望を持ち続けられるようにする必要があるでしょう。その具体的な方向性に関してはまた書きたいと思います。

 

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New Year's resolution

あまりに欲張りすぎると挫折するので,シンプルに。

1. 朝起きたら,TO DO LIST を作る。

2. 朝起きたら,NOT TO DO LIST を見る。

とくに休日は,最近無為に過ごしてしまいがちなので,気をつけたいです。

ロバストに幸せになる

昨年「幸せになるという最適化問題」という記事を書きました。

この記事の主旨は,幸せになるとは「自分の要求を最大限満たす」という最適化問題である,というものでした。人間はさまざまな要求を有しており,その要求の満足を最大化するところに幸せな人生がある,と主張しました。

基本的には,この考えは変わっていません。ただ,この記事を書いた当時は,要求満足の問題に関して「具体的にある条件を達成することで要求が満足される」というイメージを持っていました。しかしこの半年で,このイメージは間違いだと悟りました。

具体的にある条件を達成することではじめて要求が満足されるという信念は,その条件の達成を困難にするような状況に対して無力です。そのような状況において,条件が達成されていないことに常に不幸感を抱き続けることになるためです。

条件の達成が困難になる状況は現実にあります。例えばどんな容姿,性格,健康状態で,どんな時代,地域,家庭に生まれるかは,自分で決めることができません。また,どんなに努力しても,病気,怪我,失業,愛する人との死別,などの悲劇は起きます。

最適化の方法を考える際には,このような不確実性を考慮に入れる必要があります。具体的な条件の実現に完全に依存せず,ロバスト*1に幸せになる方法が必要なのです。

ロバストに幸せになる - 感謝すること

要求を満たすような具体的な条件の達成が不可能になるような状況の下で,人は幸せになれないのでしょうか。答えは否です。幸せは主観的だからです。人が幸せか否かは人が主観的に満足しているか否かで規定され,具体的な条件には依存しないのです。

主観的な満足度を高める方法は,まだ満たされていない要求に意識を向けて,その要求を満たすような具体的な条件を達成すべく努力することだけではありません。既に満たされている要求に意識を向けて,満足感を味わうのも満足度を高めます。

多くの場合,人は既に多くのことに関して恵まれています。その事実は,たとえ悲劇の中にあっても変わりません。悲劇から生まれる幸いもあります。そのような多くの幸いは,存在しないのではなく,気付かれていないだけなのです。

人が多くの幸いに気付けなくなるのは,既に満たされている要求に対して快楽順応(hedonic adaptation)してしまうためです。快楽順応とは,エモーショナルな環境の変化が幸せに与える影響が消えてしまう現象のことです。

例えば,宝くじの当選者の1年後の幸福度は普通の人と変わらない,という結果があるそうです。このように,国,地域,文化,年齢,性,民族,姻戚関係,収入,宗教などの環境的(circumstantial)な要因は,幸福度の 8 ~ 15 % 程度しか説明しないようです*2 

逆に言えば,この順応に対抗することで,既に満たされている要求から,幸せを感じることができるのです。そのための代表的な方法が,感謝することです*3(ここで言う感謝は,行動としての感謝ではなく,精神活動としての感謝を指します)。

感謝は「〇〇のおかげで〜〜」という形をとり,〜〜の部分では必ず「自分の何らかの要求が満たされていること」を確認します。つまり,感謝とは「自分の今の状況から満足を抽出する精神活動」なのです。この意味で,感謝は幸せと完全に直結します。

実際,週に1回の感謝が6週間後の幸福度を高めるという結果があるようです。ただ,あまりに頻繁に感謝したり同じことに感謝し続けると効果がないため,ある程度間隔をあけたり,感謝する領域(人間関係,仕事,健康等)を変えると良いそうです*4

具体的な条件を実現するために努力するのも大事ですが,そのような努力は悲劇に対して無力です。悲劇の中でもロバストに幸せになるためには,既にある幸せを味わうための感謝のような習慣が必要なのではないかと思います。

 

合わせて読みたい

*1:外乱に対して安定的という意味

*2:Lyubomirsky S et al. 2005. Pursuing happiness: The architecture of sustainable change. Review of General Psychology, 9, 111-131.

*3:Lyubomirsky et al. 2005.

*4:Lyubomirsky et al. 2005.