読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

人生の意味を「感じる」とき

人生の意味は「ある」ものではなく「感じる」ものだと思います。

まず,客観的な「人生の意味」を見つけるのは非常に難しいと思います。意味は無限に後退するからです。どんな「人生の意味」に対しても「それに何の意味があるの?」と問うことはでき,その連鎖は決して終わりません。その連鎖を打ち切るには「だってその方がいいじゃん」と主観に頼るしかないのです。進化の視点から見ても,人々が存在するのは自然淘汰の結果に過ぎず,そこに積極的な意味はありません。

一方で,主観的な「人生の意味」は存在し得えると思います。「人生の意味」という「感覚」が存在すること自体はあり得るからです。実際,「あなたに会うために生まれた」とか「この人を幸せにするために生まれた」という感覚には強烈なリアリティがあります。進化の視点から見ても,自然淘汰において有利になる状況で「人生の意味」を感じるように人間が進化することは十分あり得ます。

自然淘汰において有利になる状況に自らを導くために人間はさまざまな要求を持ちます。例えば,健康を維持するために食欲があり,仲間と助け合って生き残るために承認欲があり,自分の遺伝子を残すために性欲があります。逆に言えば,そのような要求が満たされた状況が自然淘汰において有利になる状況です。

従って,人間が「人生の意味」を感じるのが自然淘汰において有利になる状況であるならば,それは「自分の要求が満たせたとき・満たせる希望が持てたとき」になるはずです。とはいえ人間は快楽に適応してしまい,ありきたりなことには喜べないので,とりわけ「普段満たせていない」要求が満たせたとき,人は人生の意味を感じるはずです。

例えば,長年病気に苦しんだ人は,病気が治ったとき,または治る希望が持てたとき,大きな人生の意味を感じるでしょう。普通の人にとっては当たり前に満たせている「健康でいたい」という要求も,その人にとっては普段満たせていない要求だからです。

一方,共同体の解体が進んだ現代社会に生きる人々にとって,承認要求は比較的満たしにくい要求です。だからこそ「友人・恋人・家族と過ごすこと」「社会に貢献すること」「何かを達成すること」等が人生の意味としてよくあげられるのでしょう。というのも,これらは全て「人に認められること」につながるからです。

逆に,「人生には意味がない」と感じるのは,「どんなに努力しても要求が満たせないと感じたとき」であることが多いと思います。例えば,大好きだった恋人から振られて,出会いの希望がないとき,長年勤めた会社から解雇され,次に行く当てがないとき,人生には意味がないと感じる人は多いでしょう。

つまり,人生の意味は希望から生まれ,絶望とともに消えるのです。従って,常に「人生の意味」を感じ続けるようにするには,絶望しないように,希望を持ち続けられるようにする必要があるでしょう。その具体的な方向性に関してはまた書きたいと思います。